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執筆者の写真Lemongrass KIYO

今日は祖父の14回忌でした。

こんにちは。

KIYOです。


今日は母方の祖父の14回忌でした。


新型コロナの流行で、

親族が集まれないことは予想できていたので、

私は実家に4月2日に母と犬と車で移動して、

(4月1日は色々なお役所への申請があったので)

その後は、実家で母と外出自粛し、

今日を迎えました。

(もちろん、今後も外出自粛は続けます)


もちろん、お寺の方にもご迷惑をかけてはいけないので、

今回は、読経なども遠慮し、

お布施だけをお渡して、

本堂に母と二人だけで、

祖父と対峙しました。


きれいに掃除が行き届いている本堂で、

母と二人きりで、

祖父とご本尊と過ごす時間は、

とても神聖で、

私は数分間、母に伝えて、

瞑想させてもらいました。


今は、地方に帰ることは自粛要請が出ているので、

こうなることを予期して、

早めに帰省し、

二人で外出自粛を続ける生活をしたことで、

母だけではなく、

母と私の、せめて二人で、

祖父の法事が出来て良かったと思います。


また、祖父の為に、

私としては大胆?な

フラワーアレンジメントを作り、

献花してきました。


カラーとトルコ桔梗、キイチゴ、スターチス、紅花

だけのシンプルな作品で、

私は納得しているのですが、

母はもっと豪華にすればよかったのに!

と思っているようです。

確かに、花代2000円は安かったかな?




皆さんのご意見はいかがでしょうか?


私の祖父は、本当に偉大な人で、

その素晴らしさを伝えるには、

何回もの投稿が必要なぐらいなのですが、

まだまだ現役の時に、脳疾患を患い、

その後、18年間、祖母と母とで自宅介護をしていました。


まだ、状態も良かったけれども、

言葉でのきちんとした会話は出来なく、

平坦な道だけは介助付きであれば歩けるような

状態だった時、

私は高校の進学の事で、

色々と悩んでいました。


私が中二階の部屋で、

進学について悩んで、

一人で泣いているた時、

ふと、振り返ると、そこには祖父がいました。


当たり前ですが、

祖父が一人で手すりもない階段を

昇れるはずもなく、

私はとてもびっくりしました。


「おじいちゃん!どうしたの?!大丈夫?」


そういった私に、

祖父は、

「勉強のことで、お金のことを考えるのは親の仕事だ。

お前は、勉強の事だけ考えて、一生懸命、勉強すればいい」


そう言って、

祖父は去っていきました。


私は、これにもびっくりしました。


祖父は「いただきます」や

「おはよう」といった会話すら

出来る状態ではなかったのです。


母にそのことを話しても

「信じられない、あり得ない」

と言いましたが、

私にはあの時の祖父の顔が忘れられません。


しっかりとした顔で、

私の眼をみつめ、

厳しい顔で、そう言ったのです。


それだけ、立派な人で、

困っている私を見て、

祖父が、強大な愛情で、

一瞬だけ、不思議な力で、

祖父を本来の祖父に戻したのかも知れません。


その後、私は祖父の病気の事もあり、

脳疾患の研究の道を歩み、

医療機器の業界へと進みます。


今日は、そんな偉大な祖父の命日でした。


母と二人だけでしたが、

きっと家族は心を寄せて、

祖父の思い出を語っていると思います。


KIYO










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